
「ありのままの姿の日本」
本日は、延辺大学の皆様に対して、日本人の国民性や日本社会の実相等についてお話しする機会を持てたことを大変嬉しく思っております。中国東北地方は、中国の中でも日本語教育の極めて盛んな地域であり、日本に滞在している中国人留学生約8万人の6割が東北地方出身者で占められていることに見られるように、日本に対する関心が大変高い地域であるという印象を私も持っています。当地延辺州朝鮮族自治州は、日本海を隔てて地理的に日本に大変近い位置にありますが、現在のところ日本との交通路が整備されていないため、日本との交流は活発ではありません。しかしながら、今後、日本海を通じた航路が開設されれば、日本との交流が飛躍的に増大し、その効果は延辺自治州のみならず、吉林省、黒竜江省一円に及ぶ物と期待しています。その意味でも、私共はこの地域と日本との今後の交流拡大に大きな関心を持っております。
また、皆様に日本の現状をよく知っていただくために、日本の国際協力基金による日本文化紹介のための「ふれあいの場」を延辺大学に設置すべく支援要請中です。
さて、近年、日中間の交流は経済分野を中心に拡大の一途にあり、中国は今や日本にとって第1の貿易相手国となっており、日中間の貿易額は年間2500億ドルを超え、中国で操業する日本企業は2万社、在留日本人は12万人に達しています。また2006年には日本から374万人、中国から81万人、合計355万人の往来がありました。
日中関係は近年、首脳間の交流が途絶えていた時期がありましたが、2006年10月の安倍全総理の総理就任直後の訪中と2007年4月の温家宝総理の訪日により日中首脳間の交流が復活し、広範な分野での交流と互恵協力の関係を深めていくための基礎が築かれたと言えます。2007年9月に安倍総理の後を受けた福田康夫総理が2007年12月に中国を訪問しましたが、同総理は、父親の福田赳夫元総理と同様にアジア諸国との協力関係を重視しており、「日中友好は世界の平和のためである」との信念を持っており、「2008年を日中関係を飛躍的に発展させた一年として歴史に残る年にしたい」と述べています。福田総理の今回の訪中を通じて、日中両国指導者間には、日中の友好増進と互恵協力に向けた積極的な姿勢が生まれつつあります。
2007年は、日中両国が国交を正常化して35周年にあたり、これを記念して日中文化・スポーツ交流年に指定されましたが、同時に日中戦争勃発70周年にも当たりました。日中両国は、このように銅貨の表と裏のように、歴史の明暗を背負っており、中国人民の間には過去の日本の侵略のために依然として日本に対する根強い不信感が残っています。2007年には、日中間でさまざまな交流行事が行われましたが、当瀋陽駐在日本総領事館の関係では、2007年9月に長春市において吉林省人民政府と共同で日本文化週間を成功裏に開催しましたところ、延一万人の市民が日本の茶道公演や映画上映会をはじめとする各種の文化交流行事に参加し、日本文化に触れる機会がありました。今年は、日中平和友好条約締結30周年に当たり、日中青少年友好交流年に指定されていることから、昨年に引き続き活発な青少年交流が行われるものと期待しています。交流はお互いを知り、理解し信頼関係を築くために必要であります。
個人同士であれ国家間であれ、平和的な関係を築いていくためには、お互いに相手を良く理解する必要があります。特に日中間では過去を振り返ると共にお互いを良く知る必要がありますが、日中関係の現状は、日本人,中国人の双方共に相手のことを良く知らず、マスコミ等の情報を鵜呑みにして色眼鏡で相手を見ている傾向があります。日本人は、中国文化に対する憧憬の念を抱いていると同時に、中華思想に対する先入観も持っており、日本国内には根強い中国脅威論もあります。一方は日本人は歴史認識の低さを指摘されており、アジア諸国からはアジアの立場に立っていないという批判も受けています。
アジアの大国として、共にこの地域の平和と繁栄に大きな責任を有する日中両国の共通の目標と課題は、相互理解と共生ではないかと思います。日中両国が未来志向的な関係を築くためには、お互いの国の歴史、文化、社会状況、生活習慣等を通じて相手の全体像を知る必要があります。但し、相互理解とは、お互いの考えや立場の違いを理解する作業であるというべきでありましょう。畢竟、考えや立場の違う者同士が共通の認識を持つことは、同じ国民の間でも、また夫婦や親子の間においてさえ難しいことであります。また、共生とは、考えや立場が違っていてもお互いの存在を認め合う関係であります。但し、相互理解とは、お互いの考えや立場の違いを理解する作業であるというべきであります。所詮、考えや立場の違う者同士が共通の認識を持つことは、同じ国民の間でも、また夫婦の間においてさえ難しいことであります。また、共生とは、考えや立場が違っていてもお互いの存在を認め合う関係であります。
本日は、皆様の対日理解の一助に資すべく、日本文化の特徴、転換期を迎えている日本社会の現状などを題材に『ありのままの姿の日本』の一端を皆様にご紹介したいと思います。
1.日本文化の特徴
(1) 中国語と日本語の違い
日本は、古来より漢字、製紙技術、律令制をはじめとする文化の面で中国から多くの影響と恩恵を受けており、日中両国は2000年にわたる交流の歴史を持っているといわれています。特に、漢字については、日本では小学生から漢字の学習が始まり、高校生では漢字の授業があり、唐詩を古典として勉強することから、日本人は庶民レベルでも孔子の言葉や論語や、李白、杜甫の詩に親しんでいます。
しかしながら、日中間には、630年から894年の間18回にわたって派遣された遣唐使が廃止された後は、15〜16世紀(1401年〜1549年)に明朝との間で限定的な交易が行われた以外は、1871年の日清修好条規まで正式の国交がありませんでした。中国史の中で唐の時代は、日本人にとっ最も親しみを感じる時代ではないかと思います。
日中両国は時に、一衣帯水の関係或いは同文同種の関係といわれていますが、交流が途絶えていた時期が長くあり、その間に日本が中華文明圏の外で独自の文化を発展させてきたことから、日中両国の文化は漢字を例にとっても違った発展を歩んできました。日本の社会は、中国や朝鮮のような中央集権制とは違い、地方分権制の下で、多様な地方文化を発展させてきました。人間関係についても、祖先との血縁的つながりを共有する宗族関係よりも、自らの所属する地域や集団との関係を運命共同体として重視する社会風土の下で、国民の生活習慣や行動様式などの面で中国や朝鮮のような中華文明圏とは異質な文化を育んできたと言えます。
中国を起源とする漢字は日中共通の文化遺産ですが、漢字を母体として仮名という表音文字を8世紀に考案した日本語の言語体系が独自の発達を遂げたことから、同じ漢字でも中国語と日本語とでは言語感覚はかなり違うものになっています。例えば、日本語の『親近感』は、中国語の『親近感』ほど強い情感を含んだものではなく、中国語で言えば『好感』と言った程度の意味合いです。
漢字に加えて表音文字である仮名を併用する日本語は、人間や自然に対する細やかな感情、情緒と言った感受性を表現するのに適しており、日本人の生活や心情に大きな影響を与え、庶民階級による日記や文学、恋愛小説等を無数に輩出しています。毎年、恒例となっている芥川賞、直木賞という国民的な二大文学賞の受賞式は、無名の庶民が作家になるための登竜門となっています。
他方、日本語の言語体系は、感覚的表現においては優れていますが、論理的表現においては不十分な面があります。漢字の使われ方も、中国語では厳格に使われていますが、日本語では本来の漢字の意味に必ずしも忠実でない場合が多く、また、『言外の意味を察する』と言う言葉があるくらい、日本語の表現は曖昧であり、外国人からは度々誤解を受けています。日本人がこのように曖昧な表現をする背景には、対人関係において対立を避けようとする日本人の性格が大きく働いているものと思われます。
(2)日本人の好奇心と順応性
日本は日本列島という四方を海に囲まれた辺境の孤島ですが、古来より外界の文化を柔軟に受容してきました。石橋を叩いて渡るという諺に見られるように、日本人は保守的な性格を持っており、初めての事柄に直面すると大変慎重な態度を見せますが、他方で未知の物事に対する好奇心も旺盛であり、環境の変化に対する順応性が高く、異質の文化でも役に立つものであれば率先して習得してきました。
1543年に九州南方の種子島に漂着したポルトガル人がもたらした鉄砲は、一年後には国産化され、日本国内に広まっています。19世紀末の江戸幕府末期から明治維新に至る激動期にイギリスの科学技術を目の当たりにした九州の地方政府である佐賀藩は、いち早く日本初の蒸気船を建造しました。
日本がアジアの中でも最も早く近代化できた背景には、日本人のこのような好奇心が大いに影響していると思われます。日本人は優れたものであれば、外国のものであろうと躊躇なく取り入れようとする国民性を持っています。他方、中国人が西洋文化に簡単に好奇心を示さなかったのは、中華文明に対する誇りが余りにも強かったためではないでしょうか。
(3)日本人の職人気質と文化の継続性
日本は世界有数の技術大国にと言われていますが、日本経済を支えているのは企業数で99.7%を占める中小企業の高い技術力です。日本の中小企業は技術革新の源泉であると言われており、世界最先端技術を有する中小企業も少なくありません。このような技術力は、日本列島の限られた資源を再利用しながら循環型経済を営んだ17世紀から260年間の江戸時代(3,230万人の人口)に育まれたと言われています。また、その背景にはあらゆる分野で技を極めようとする日本人の職人気質があると言えます。
日本人は何事をするにも一所懸命になる性向がありますが、この「一所懸命」という言葉は「物事に命懸けで取り組む」という意味であり、物事の奥義を極めようとする生活態度です。専門分野に従事する人々は、「日本一」になることを目標に技術の習得に励むことに人生の生き甲斐と価値を見出しています。他方で、日本人は目標を達成しようとする場合、手段・方法といったプロセスを大変重視し綿密に準備をしますが、結果については、期待通りでなかったとしても余り執着しない傾向があります。また、日本人は、一旦決められた計画を愚直に実行しますが、脚本やマニュアルのない場面では、臨機応変な対応は苦手です。
日本社会の体質は、何百年にわたる職人文化が形作っていると言えます。日本の小学生に大人になったらなりたい職業について質問すると、男子は大工、女子は美容師が断然人気の高い職業です。日本では『職業に貴賎はない』という言葉がありますが、日本社会は伝統的に技能を尊ぶ物作りの社会です。
今年1月、いまや世界中に普及している『カップ麺』の発明者である日清食品の安藤会長が亡くなり、其の葬儀に総理経験者、政財界の要人を始め全国から数多くの弔問客が訪れましたが、今では宇宙飛行士も食べるようになった『カップ麺』を考案した職人魂を日本の社会がどれほど尊敬しているかを示す好例であるといえます。日本技術競争力の源泉は、このような職人精神を讃える日本の社会風土にあるといえます。
また、日本は技術を広く他人に伝授し、後継者を養成するという意識の強い社会です。特に、伝統文化については、伝統継承が社会的責務であるという脅迫観念に当事者は支配されているようです。年老いた父親の経営する伝統的家業を引き継ぐために、途中で裁判官を退職するといった例もあります。また、日本文化の特徴は中国、韓国のそれと対比すると文化の継続性にあるといえます。特に、技術を広く他人に伝授すると言う風土は、中国、韓国の場合と比べて対照的であり、日本社会の大きな特性であるといえます。
日本各地には、数百年も連綿と伝わる祭り、茶道、華道といった伝統芸術、代を継いで伝統技能を伝える職人、何百年も続く日本料理店等の老舗が無数にあります。200年以上の歴史を持つ企業は、日本には3,000社あります。因みに、中国では9社、インドは3社、ドイツは800者と言われます。世界で最古の企業は、日本の大阪にある『金剛組』という建築会社で1400年の歴史があります。
(4)日本人の集団志向性
日本列島という狭い国土の中で農村共同体を形成し専ら農耕に従事してきた日本人は、皆で集まって協力するという集団志向性の強い民族です。
『和をもって尊しとなす』という7世紀の聖徳太子の言葉は『皆喧嘩をしないで仲良くしましょう』と言う意味に理解されていますが、日本は、昔も今も共同体意識の非常に高い社会であり、集団内部では対立を避け、調和、協調を大切にしています。日本人にとって社会生活において自分の言動を自制することは殆ど生活習慣になっており、他人に迷惑をかけることは日本人が社会生活で最もタブー視していることの一つであります。
また、日本では何か物事を始めようとする時、利害関係との摩擦を避けるために『根回し』といって、事前に関係者と意見調整をするのが社会的慣行となっていますが、これを怠る子と自体が批判の対象にされることになります。
他方で、集団内部では、合理的な意見であってもそれが受け入れられるような雰囲気になければ、個人が自分の意見を表明することは大変勇気の要ることであり、その結果、自分の考えと違っていても周囲の意見に同調するという社会風潮が根強く存在します。また、集団で決めた規則は守らなければいけないという意識が個人を束縛してしまうのです。
この日本人の集団志向性は、個人が生存していく上で集団の助けを必要とするという集団帰属意識に由来するものといえますが、個人が集団の中に埋没して大勢に迎合しやすいという日本人の国民性の弱点にもなっていると言えます。
2.転換期を迎えている日本社会
現在、日本の社会は大きな転換期を迎えています。戦後の日本は日米安保体制の庇護の下で経済発展に専念してきましたが、戦後60年が過ぎて日本の社会は成熟期に入りつつあり、出生率の低下に伴う人口減少(少子化)と60才以上の人口が全国人口の26.8%を占めるほどの老齢化社会を迎えつつあります。人口の減少と社会の老齢化は、雇用政策や年金制度をはじめ社会構造に変化をもたらし、個人の生活意識や社会の性格にも大きな影響を及ぼしつつあります。社会の雰囲気も段々と若々しさがなくなって、活力が失われようとしつつあります。このような社会変化の中で、将来に向かって持続可能な社会を築いていくためには国家も個人も針路の見直しが求められています。
また、最近の日本社会の特徴として、経済のグローバル化による国際競争の下で、ワーキング・プアーと言う低賃金労働者が増えると言う社会格差が生じています。外国人労働者の安い賃金の影響により、日本人の賃金も下落傾向にあり、一生懸命働いても十分な賃金をもらえず余裕のある生活ができない社会層が生まれつつある、と言う現実があります。
顧みると、日本は戦後、民主主義と平和主義を金科玉条とし、国家の目指すべき進路や目標について国民的議論なしに泰平の世を過ごしてきました。軍国主義・全体主義対する反省から、国を愛することや愛国心のあり方などを話題にすることを避け、礼儀作法、郷土愛といった戦前の日本の伝統的醇風美俗も十把一絡げに全否定されてしまってことから、国家意識や日本国民としての一体感(identity)が稀薄となり、日本の伝統文化という木が枯れかかっているという危機意識が社会に生じています。
現在、日本で最も大きな社会問題となっているものの一つに学校教育の問題があります。教育現場では、生徒が教師の指示に従わない等規範意識が薄れており、平等主義の弊害により生徒の学力も低下しているという危機的状況にあり、教育制度の改革が国家的課題となっています。
一方で、日本では『愛国心』を強調する社会風潮の高まりについて、『戦争への道につながる』として拒否反応を示す人が少なく、伝統文化への回帰の動きに対する根強い警戒感が社会の一部にあります。
また、アジアには日本の軍国主義の復活を懸念する声が依然としてあります。過去の日本の侵略行為のため、周辺諸国が日本に対して警戒心を持つことは十分理解できるところですが、日本国内の一部の右翼的傾向を取り上げて日本軍国主義の復活を声高に叫ぶのは、今日の日本社会の実相とかなりかけ離れた議論であるといわざるを得ません。
日本は、第二次世界大戦後、国粋主義的な教育を清算し、戦前と違う社会に生まれ変わっています。日本社会の主流は、過去の日本の侵略行為を教訓として重く受け止め、国際協調による共存、共栄の道を目指しており、日本の安全と繁栄はアジアの安定と繁栄があってこそ可能であるという認識は、日本国民が共有するところとなっています。何よりも、今日の日本社会は、戦後60年間の民主化の下で多様な価値観が共存する社会になっており、軍国主義や国粋主義といった特定のイデオロギーが世論を結集できるような社会風土ではなくなっているということであります。中国政府は、日本の侵略行為は一部の軍国主義者によるものであり、一般の日本人民は軍国主義の被害者であると見なしていますが、日本人の多くは誤った国策の下で、軍国主義に加担し、戦争への道を歩んだことに対して罪悪感を持っているのが現実です。
2004年の秋、天皇陛下が民間人を招いて開いた恒例の園遊会で起こった出来事ですが、某教育委員会が自己紹介をしながら、自分の仕事は小学校の生徒に対して日本の国旗に対する敬礼と国歌斉唱を普及させることであると述べたところ、天皇陛下は『強制をすることは望ましくありませんね』と応えたといわれます。日本の社会では、国旗に対する敬礼、国歌斉唱は軍国主義につながるとして、学校教育の中でこれを拒否する教師が少なからずいるのが現状です。一方で、教育委員の保守的な発言は日本社会の多くの声を代表するものでありますが、天皇陛下の民主的な発言は多くの日本人が共感する価値観であります。
以上お話したことは日本の社会の一断面であり、また、私個人の主観の折混ざった見方ですが、皆様の日本理解のご参考になりましたでしょうか。
3.未来志向の日中関係
さて、日中両国はアジアの大国として、アジア地域の平和と繁栄に対して大きな責任を有しています。日中両国は地域の覇権を争うライバルでなく、共通の(戦略的)利益を追求する互恵協力関係を築いていくことが、この地域の平和と安定にとって不可欠であります。現在、日中関係は構造調整期にありますが、日中両国は過去の歴史を超克し、未来に向け協力していくべきであります。
未来志向的な友好協力関係を築いていくためには、過去を鑑とするという視角が必要なことはいうまでもありません。過去を隠したり、過去の過ちを肯定していては日中関係は進展しません。しかしながら、ナショナリズムを刺激し、排他的感情を扇動することは避けなければなりません。日中両国はお互いに排他的民族感情を放置せず、相互不信と対立悪循環を断ち切る必要があります。
日中両国は、共生というアジア的価値観を再認識し、お互いの文化的背景の違いを認め合いながら広範な分野での交流を深め、個別の利害関係を賢明に調整し、互恵の協力関係を築いていくべきであります。
現在、われわれの近代文明は限界に近づこうとしています、世界的なレベルでの急激な経済発展は地球環境に重圧をもたらし、地球温暖化による洪水、旱魃等の異常気象が頻発しており、自然環境は回復不可能な状況へと向かいつつあります。過去に幾多の文明が環境破壊のために滅亡しています。
地球環境の保全は国際社会が取り組む喫緊の最優先課題です。中国経済の急激な発展と世界経済に占めるその比重の大きさに鑑みると、環境保全と省エネ問題に対する中国の取り組みの重要性は自ずから明らかである、地球環境の保全と有限なエネルギー資源の有効活用と言う国際社会の要請に貢献すると共に、中国経済の持続的発展にも資する道であると言えます。日本では官民一体となって省エネ問題に取り組んだ結果、過去30年間にエネルギー効率は37%改善し、またGDPが2倍となる中で、石油消費量は8%減少しました。
日中両国が環境保全・省エネという地球規模の共通目標にために協力することは、東北アジア地域の平和と繁栄に貢献できる絶好の機会でもあります。平和で持続的成長の可能な国際社会を建設するために皆様が各各の分野で活躍されることを期待しつつ、私の講演を終わります。 (了)