東北3省の世界遺産

令和3年6月10日

これまでユネスコで登録された世界遺産のうち、東北三省に所在するのは、「明・清朝の皇宮群・皇帝陵墓群」の一部として指定された瀋陽の故宮等「一宮三陵」と、遼寧省本溪市桓仁県と吉林省集安市に跨る「高句麗王城、王陵および貴族の古墳群」、及び「万里の長城」の一部として追加的に指定された葫蘆島市の「九門口水上長城」がある(いずれも世界文化遺産)。


1.瀋陽「一宮三陵」
(1)故 宮

1625年に後金が瀋陽に遷都した際、太祖ヌルハチにより創建され、太宗ホンタイジの時代1636年に落成した宮殿。1644年順治帝が山海関を越えた『入関後』は、清代歴代皇帝の御幸の場となった。清代中期乾隆帝の時代に整備、拡張され現在の規模になった。

敷地面積約6万?u、建築物は80余りに分かれている。ヌルハチ時代に建設された『東路』、ホンタイジ時代に建設された『中路』、入関後建設された『西路』の3つのエリアから成る。
(2)北 陵

清朝二代目皇帝ホンタイジと皇后ボルチジの陵墓。正式名称は『昭陵』だが、市の北に位置することから『北陵』と呼ばれている。ホンタイジが亡くなった1643年から、19年の歳月を費やし造営された。敷地面積330万?uで瀋陽市最大の公園である。
(3)東 陵

1651年に完成した清朝初代皇帝ヌルハチと皇后イエホラナの、松林に囲まれた陵墓。正式名は『福陵』だが、市の東に位置するため『東陵』と呼ばれる。
(4)永 陵

瀋陽市に隣接する撫順市郊外・新賓県に位置し、正式名称は『興京陵』という。太祖ヌルハチの先祖を祀っていることから、有名な清初「関外三陵」の第一とされる。1598年に建築、約1.2万?u。


2.本溪・集安「高句麗王城、王陵および貴族の古墳群」
(1)これらの高句麗遺跡群は、遼寧省本溪市桓仁県と吉林省集安市とにまたがる遺跡群。高句麗は、朝鮮半島北部から中国東北地方にかけて勢力を誇っていたことから、当初は中朝両国が競って世界遺産登録を申請したが、結局両国それぞれ一件ずつで登録されることとなった。
(2)高句麗は紀元前3世紀頃に、騎馬民族の扶余族の一集団が北方から遼寧省桓仁市付近に移住し、高句麗最初の山城を五女山上に築いて都城としたのが始まりといわれている。古代高句麗王国の首都群と古墳群は、高句麗初期の山城である五女山城(桓仁県)、平地城である国内城(集安市)、山城である丸都山城(集安市)の3つの都市遺跡と高句麗中・後期の14基の皇族古墳と26基の貴族古墳からなる40基の陵墓群(集安市)が含まれる。陵墓群は、有名な好太王(広開土王)碑、将軍塚、大王陵があり、また、舞踊塚、角抵塚、散蓮花塚、三室塚、通溝四神塚などの壁画古墳からなる。陵墓群の中には、優れた設計技術を示すものもあり、その構造や壁画などは人類の創造性を示すものである。

〔主な壁画古墳による築造年代と変遷〕

 4世紀中頃:安岳3号墳
  4世紀後半:遼東城塚麻線1号墳、山城下322号墳
  5世紀前半:徳興里古墳、薬水里古墳、将軍塚1号墳
  5世紀中頃:舞踊塚、角抵塚、長川1号墳
  5世紀後半:双楹塚、天王地塚、三室塚
  6  世 紀:五?塚4号墳、五?塚5号墳、真坡里9号墳(旧真坡里1号墳)、通溝四神塚
  6世紀後半~7世紀前半:湖南里四神塚、江西大墓、江西中墓、高山洞1号墳、高山洞9号墳、内里1号墳


3.葫蘆島「九門口水上長城」

遼寧省西部葫蘆島市綏中県に所在する万里の長城の一部を構成する城壁。北斉の時代(479-502)に建設が始まったもので、現在残っているのは明代初め洪武14年(1381)に拡張された部分とされる。全長1,704m、城壁が橋になっている部分は97.4mで、九江河を跨ぐことから「水上長城」と称されている。2002年11月に、既に世界文化遺産として登録されていた「万里の長城」の一部として追加登録された。